【上京】「あこがれ」から「仕方なく」に 変わりゆく上京の概念

関西学院大難波功士教授

 地方から東京に出てくる「上京」には戦後、3回のピークがあったと考えている。一つ目が1960年代。64年の東京五輪に向けて、高速道路が延び、新幹線が開業。東京の再開発が加速していった。

 この頃から集団就職や大学進学で上京してきたのが「団塊の世代」。俳優の西田敏行や、漫画「島耕作」シリーズで知られる弘兼憲史らがいる。テレビ業界の急成長に乗り、東京を夢想するだけでなく、地方にいてもブラウン管越しに東京の情報を得ることができるようになった世代だ。西からの上京者の多くは新宿をめざし、東からの上京者はまず上野に降り立った。

 次のピークが80年代。後半のバブル景気で「景気が良いらしい」と、仕事を求めて上京する人はもちろん、テレビドラマの「おしゃれでかっこいい東京」が定着した。バンドブームも起こった。「三宅裕司いかすバンド天国」などのテレビ番組や原宿歩行者天国ホコ天)での演奏を夢見て全国の学園祭のヒーローやヒロインたちが東京を目指すようになった。もともと大阪で活動していたシャ乱Qの「上・京・物・語」は、80年代に20代だった彼らが、数年後に自身の体験を振り返った曲といえる。

 大阪府出身の私自身もこの頃、上京した一人だ。大学4年のとき、東京の広告代理店の就職試験で初めて上京した。84年に入社。同期は六本木など「東京らしい」エリアに住んでいた。

 最後のピークは2000年代。そこから社会の構造が、東京に人が集まる仕組みになってしまった。強いあこがれより「仕事があるから仕方なく」「何気に」といった理由で上京する人が増えているようだ。

 毎年20〜30人いる私のゼミ生を見ても、90年代は卒業後、半数が関西に残ったが、最近は卒業時に関西勤務が決まっている学生は5人程度。関西で発展した薬品や家電、繊維メーカーなどが、本社機能を東京に移したり、事業が縮小したりしたうえ、人気のIT企業は東京に集中。学生が上京するのは自然な流れだ。

 一方で、挫折して郷里に帰るなど、東京になじめていない人も昔より少ないと思う。インターネットの発達で東京に過度に期待する人が減ったことや、「本当に住みやすい街」が見直されたことが大きいだろう。

 また、上京する女性が増えたのは、娘に「地元で結婚して主婦になってほしい」と願う保護者が減ったこともあるはずだ。大企業や公務員の妻でもいまや安泰ではない。親の言うとおりにしても、夫の会社がつぶれるかもしれない。女性を地方に縛り付ける理由はなくなった。ご当地アイドルたちにしても、最終的には武道館のステージに立つことを夢見ている。

 2010年代以降になると、上京を描いた代表的な映画や小説、音楽が思いつかない。東京を描いてもキャッチーにならないのだろう。

 逆に、地方と東京の高校生が同じ通信教育で学び、東京の大学の合格発表で出会う、というCMがあった。かつては地方にとって「近未来」だった東京が、変わってきたように思う。(聞き手・小林直子)

1/4(土) 15:00配信
朝日新聞
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